私がチュニジアに着いたのが昨年の5月13日、
チュニジア生活、丸1年が経過してたんですねぇ。
いろんな事があり過ぎて、まるで3年分の経験が1年に凝縮されたかのような、
濃〜厚〜な1年でありました。
感覚的に時間がたつのは早いけれど、思い返すと実に長〜い1年間で。
実生活に日記が追い付いていないのが現状です
車はなくとも過去にあっちこっち行った記録がまだまだ・・・
積み残しネタ てんこもり(^^;)どーしよー
ぽつぽつ頑張りますm(_ _)m
革命後だからいろんな変化があるのも当然でそう言うネタもたまってまして。
で、お札の話です
以前50ディナール札を比較したんですが、20ディナール札の新しい物が手に入りました。
まずは表側をどうぞ(上:新札、下:旧札):

うわ、私ひらがなヘタクソ
新札にはベルベルの倉庫群、クサール・ウレド・スルタンが入りました
旧札はバルドー博物館らしき建物と、どこかしらん?
裏側はこうなっています(上:新札、下:旧札):

旧札には「11月7日」がデザインされています。7の文字がデカデカと・・・
革命前までは「大統領就任記念日」でした。
でもベンアリが大統領に就任した日なんかもう関係ないのでね(^^;)
新札には由緒正しい名門リセ(高校)「サディーキ校」が刷られています。
もちろん透かしも変わりました(左:旧札、右:新札):

文字が見苦しくてすみません
表側の軍人っぽい男性はKheireddine Et-tounsiという人なんですが、
それって、誰・・・
(カタカナで何と表記していいのかも分かりません
調べると別名が色々出てきました。
Hayreddin Pasha とか Kheireddine Pacha とか Khair al-Din Pasha・・・
うーむむ、みんな同一人物なの
パシャと言えばトルコのケマル・パシャくらいしか知らない私、混乱しました。
英語のWikipediaの説明を見ると生まれはオスマントルコなんですねぇ。
トルコ生まれだからパシャ?
ただこのページ、説明が長すぎて要約も何も・・・困った
まぁとにかく、
チュニジアがオスマン帝国の支配下にあった頃に活躍した大宰相(という役職)で、ヨーロッパが台頭してくる時代の中、チュニジアで政治改革をやった人のようです。
国家元首(かな?)にまで上りつめたようだから実力者だったんでしょうね。
他にもチュニスのメディナにあるグランド・モスク(別名ズィートゥーナ・モスク、高等教育機関でもありました)に近代的なカリキュラムを持ち込んだり、チュニジアの次世代の指導者たちに現代的な科目を教えるリセ(高校)、サディーキ校の設立のために動いたりもしたようです。
チュニジアの宗教(イスラム)的な物事を理解している事と、欧州の政治機関に精通しているのが彼の強みだった様子
トルコ人だけどチュニジアの近代化に貢献した人だったんですねぇ。
だから「パシャ」なのかも。 ←名誉な感じが漂っている勝手なイメージ
あぁ・・・今の日本にもこんな人材、欲しいなー(´・ω・`)
最後はボヤキかい(ーー;)
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